自動翻訳が進化すれば英語の勉強は不要か?
自動翻訳ツールで便利な世の中になるのは間違いないけど、「英語学習が不要」というのは間違っていると私は考えます。
通訳を通して話すのと自分の言葉で話すのとでは、心の通じ合い方が大きく違うと感じているからです。(これは私の上海駐在時代の経験からです)
挨拶や自己紹介だけでも現地の言葉で•••という気持ちを相手は感じ取ってくれるものなのです。
さらに言うなら、言葉だけでなく文化や歴史、宗教についても学んでおくことも非常に大切です。
データ分析の世界でも、統計ツールがどんどん進化するからいまさら統計とか勉強しても•••って言う人がいますが、むしろ逆で、自動ツール化で統計分析の間口が広がるからこそ、統計学を学んでおく必要があります。なんだかAIに雇用を奪われるとかそういう議論と似ていますね。
英語も同じで、翻訳ツールの貢献により異文化交流の間口が広がるなら、それこそが英語を勉強する理由になるはずです。
ちなみに私は来たる真の異文化交流時代に備えてカランメソッドで英語学習に励んでいます。
データサイエンティストの資料作成能力
データ分析で食べていく人間には資料作成能力が欠かせない。
統計分析の専門家ではない人達にデータを使って意思決定してもらうところに、データサイエンティストの価値がある。
資料作成はその重要な手段だ。
このスキルを上げるためには、アウトプット資料を徹底的に叩かれる経験が必要だ。
「何を伝えたいのかわからん!」とか「なんだこの数字は!」とか、上司やクライアントから詰められる経験が資料作成能力を高めてくれる。
これはかなり地獄のような経験だが、この経験をしている人は基礎スキルが高い。
ドリルじゃなくて穴をちょうだい
年末はお客様回りをするのが通例なんだけど、先日あるお客様からこんなことを言われた。
我々はドリルではなく穴がほしいんだよね。ドリルはあるんだけど、肝心のいい穴を掘れてなくって。
(ドリルを買う人が欲しいのは穴だ、というのはセオドア•レビット博士の有名な言葉。)
私のように思考がプロダクトアウトしやすい人を、マーケットイン思考に正してくれる効果的な問いだ。
年末にあらためて気付かせてくれたお客様に感謝である。